たぬきのちらうら

適当に、好きなことを書く。おもにシャニマス

SNSにある幸せについて本気出して考えてみた。

SNSは人生の幸福度を下げる」
この学術論文が発表されたのが2016年。
定説になりつつあるし、僕個人としても実感している。
これから書くことは、その論文を僕なりに噛み砕いた内容です。




インスタ映えを追いかけるインスタグラマーに対して、
斜に構えた目で見ている人は多いだろう。
「幸せ自慢をしないと幸せであると実感できない」
というのも事実だが、それだけではない。

幸せ自慢をしないと、不幸になるからあげているのだ。

SNSは基本的に、自慢しか載せられない世の中になってきている。
昔は愚痴垢なんてのもあったけれど、
愚痴ばかり言っていては、嫌われる、フォロワーが減る。
よいことのツイート、他人との交流、それが中心。
「いいことだけが、SNSに投稿されるようになる」
表面上の付き合いだけのフォロワーがほとんどだから、
なおさらマイナスなことは呟けないのである。
その結果うわべばかりの幸せが、あふれかえった媒体になる。

簡単な例でいえば、
結婚及び妻帯者、彼氏彼女の存在アピールあたり。
「結婚しました!」 という、幸せ真っ盛りの報告。
「旦那が今日も優しい」 という、ほほえましいツイート。
これらの投稿主は、幸せで仕方がない生活を送れているのだろうか。

答えはほとんどがノー。
旦那の収入の少なさから将来の不安を考えていたり、
実は暴力をふるうときのある旦那かもしれない。
結婚だって、まだ付き合って浅い段階でのできちゃった結婚で、
心のどこかに後悔の念があるやも。
そういったマイナスをすべてかくして、
幸せだけをアピールするのがSNS

そうやって幸せであることを報告して、
承認(いいね)してもらうことでやっと幸せになるのだ。

これが、リアルの友人やチャット時代のネットコミュニティであれば、
その人個人をよく知っているから、
苦労している大変な面もあって、幸せもあるのだと理解できる。

でも、SNSリツイートを通して大量の赤の他人の幸せばかりが押し寄せてくる。
それに比べて自分はどうだ。
仕事に疲れ、恋人はいない、収入も高くはない。
世間のみんなはこんなに幸せそうなのに、
何故自分は幸せではないのか。
ああ、私も幸せになりたい。
幸せの証をSNSで呟かないと。
一人旅で綺麗な景色を見なきゃ。
猫と戯れて和む時間をすごさなきゃ。
幸せにならなきゃ、自分だけが取り残される。
「みんな」と同じ、幸せな人生を送らないと。

いつしか脅迫概念のように幸せを追い求め、
その幸せに「いいね」をもらって承認してもらわないと満たされなくなる。
しかしどこまで突き詰めていっても、
幸せにあふれている「みんな」には追いつけない。

だって、そんな「みんな」はもともと存在しないのだから。

SNSの向こうに本来存在するのは、
あなたの思う「幸せなみんな」ではなく、
不幸と幸せを両方感じて何とか生きている人たちばかり。

そうやって果てない幸せを追い続けることにつかれ、
ある人は断舎利をし、
ある人はネットを離れ、
そして、少なくない人数がうつ病になっていく。

最初に上げた論文では、SNS利用者の25%はうつ病になるとしている。

そりゃそうだ、自分だけが不幸だという錯覚に襲われ、
ありもしない幸せを追い求めていたら、 誰だって壊れるだろう。
SNSは間違いなく毒である。
見るだけで毒、投稿すればより早く回る猛毒。
それでも、周りの人たちの現状や、世間のニュース、
それに対する反応を見るために、 SNSを開くのはやめられない。

開いてしまえば最後。
見たくもない他人の幸せが押し寄せてきて、
また自分は不幸になっていく。

SNSの幸せとは、つまるところ相対評価
自分より幸せなように見える「みんな」がいる限り、
宝くじでも当てない限り、幸せになんてなれっこないのだ。
SNSを見る前と見た後だと、 後の方が幸福度が下がるというのも、
先述の論文に書かれていること。

SNSなんて辞めてリアルの人間関係を築こう。」

これはリア充パンピーの言う綺麗事ではない。
リアルの相手なら、相手の幸せの裏にある苦労だってわかるから。
その人の幸せを本気で祝福できるし、
嫉妬することだってSNSよりは少なくなる。
別にリアルじゃなくてもいい。
ネット上でもSNS以上に対話の多いコミュニティで、
深い人間関係を築ければそれでいい。
外食をしても、SNSに上げない。
2000円以上した美味しいディナーの感想は、
自分の舌と、親しい人たちとだけ共有できればそれでいい。
シェアする時代でもシェアしていいのは身内までだ。

幸せは結局のところ相対評価
他人と比べることは辞められないって、
お釈迦様ですら言っているのだから。
なら、幸せにあふれている場所には身を置かない方がいい。
とにかく、親しくもない人の幸せにだけは触れないほうがいい。
断舎利、SNS断ち、それも立派な手段だ。
そうやって、他人の幸せに駆り立てられることなく、
朝の出勤時の信号が全て青信号だったことに、
小さな幸せを感じられる人間へと生まれ変わる。
それができれば、きっと今よりいい人生を送れると思うのです。