SNSにある幸せについて本気出して考えてみた。
「SNSは人生の幸福度を下げる」
この学術論文が発表されたのが2016年。
定説になりつつあるし、僕個人としても実感している。
これから書くことは、その論文を僕なりに噛み砕いた内容です。
https://forbesjapan.com/articles/detail/12235 …
インスタ映えを追いかけるインスタグラマーに対して、
斜に構えた目で見ている人は多いだろう。
「幸せ自慢をしないと幸せであると実感できない」
というのも事実だが、それだけではない。
幸せ自慢をしないと、不幸になるからあげているのだ。
SNSは基本的に、自慢しか載せられない世の中になってきている。
昔は愚痴垢なんてのもあったけれど、
愚痴ばかり言っていては、嫌われる、フォロワーが減る。
よいことのツイート、他人との交流、それが中心。
「いいことだけが、SNSに投稿されるようになる」
表面上の付き合いだけのフォロワーがほとんどだから、
なおさらマイナスなことは呟けないのである。
その結果うわべばかりの幸せが、あふれかえった媒体になる。
簡単な例でいえば、
結婚及び妻帯者、彼氏彼女の存在アピールあたり。
「結婚しました!」 という、幸せ真っ盛りの報告。
「旦那が今日も優しい」 という、ほほえましいツイート。
これらの投稿主は、幸せで仕方がない生活を送れているのだろうか。
答えはほとんどがノー。
旦那の収入の少なさから将来の不安を考えていたり、
実は暴力をふるうときのある旦那かもしれない。
結婚だって、まだ付き合って浅い段階でのできちゃった結婚で、
心のどこかに後悔の念があるやも。
そういったマイナスをすべてかくして、
幸せだけをアピールするのがSNS。
そうやって幸せであることを報告して、
承認(いいね)してもらうことでやっと幸せになるのだ。
これが、リアルの友人やチャット時代のネットコミュニティであれば、
その人個人をよく知っているから、
苦労している大変な面もあって、幸せもあるのだと理解できる。
でも、SNSはリツイートを通して大量の赤の他人の幸せばかりが押し寄せてくる。
それに比べて自分はどうだ。
仕事に疲れ、恋人はいない、収入も高くはない。
世間のみんなはこんなに幸せそうなのに、
何故自分は幸せではないのか。
ああ、私も幸せになりたい。
幸せの証をSNSで呟かないと。
一人旅で綺麗な景色を見なきゃ。
猫と戯れて和む時間をすごさなきゃ。
幸せにならなきゃ、自分だけが取り残される。
「みんな」と同じ、幸せな人生を送らないと。
いつしか脅迫概念のように幸せを追い求め、
その幸せに「いいね」をもらって承認してもらわないと満たされなくなる。
しかしどこまで突き詰めていっても、
幸せにあふれている「みんな」には追いつけない。
だって、そんな「みんな」はもともと存在しないのだから。
SNSの向こうに本来存在するのは、
あなたの思う「幸せなみんな」ではなく、
不幸と幸せを両方感じて何とか生きている人たちばかり。
そうやって果てない幸せを追い続けることにつかれ、
ある人は断舎利をし、
ある人はネットを離れ、
そして、少なくない人数がうつ病になっていく。
最初に上げた論文では、SNS利用者の25%はうつ病になるとしている。
そりゃそうだ、自分だけが不幸だという錯覚に襲われ、
ありもしない幸せを追い求めていたら、 誰だって壊れるだろう。
SNSは間違いなく毒である。
見るだけで毒、投稿すればより早く回る猛毒。
それでも、周りの人たちの現状や、世間のニュース、
それに対する反応を見るために、 SNSを開くのはやめられない。
開いてしまえば最後。
見たくもない他人の幸せが押し寄せてきて、
また自分は不幸になっていく。
SNSの幸せとは、つまるところ相対評価。
自分より幸せなように見える「みんな」がいる限り、
宝くじでも当てない限り、幸せになんてなれっこないのだ。
SNSを見る前と見た後だと、 後の方が幸福度が下がるというのも、
先述の論文に書かれていること。
「SNSなんて辞めてリアルの人間関係を築こう。」
これはリア充やパンピーの言う綺麗事ではない。
リアルの相手なら、相手の幸せの裏にある苦労だってわかるから。
その人の幸せを本気で祝福できるし、
嫉妬することだってSNSよりは少なくなる。
別にリアルじゃなくてもいい。
ネット上でもSNS以上に対話の多いコミュニティで、
深い人間関係を築ければそれでいい。
外食をしても、SNSに上げない。
2000円以上した美味しいディナーの感想は、
自分の舌と、親しい人たちとだけ共有できればそれでいい。
シェアする時代でもシェアしていいのは身内までだ。
幸せは結局のところ相対評価。
他人と比べることは辞められないって、
お釈迦様ですら言っているのだから。
なら、幸せにあふれている場所には身を置かない方がいい。
とにかく、親しくもない人の幸せにだけは触れないほうがいい。
断舎利、SNS断ち、それも立派な手段だ。
そうやって、他人の幸せに駆り立てられることなく、
朝の出勤時の信号が全て青信号だったことに、
小さな幸せを感じられる人間へと生まれ変わる。
それができれば、きっと今よりいい人生を送れると思うのです。
この学術論文が発表されたのが2016年。
定説になりつつあるし、僕個人としても実感している。
これから書くことは、その論文を僕なりに噛み砕いた内容です。
https://forbesjapan.com/articles/detail/12235 …
インスタ映えを追いかけるインスタグラマーに対して、
斜に構えた目で見ている人は多いだろう。
「幸せ自慢をしないと幸せであると実感できない」
というのも事実だが、それだけではない。
幸せ自慢をしないと、不幸になるからあげているのだ。
SNSは基本的に、自慢しか載せられない世の中になってきている。
昔は愚痴垢なんてのもあったけれど、
愚痴ばかり言っていては、嫌われる、フォロワーが減る。
よいことのツイート、他人との交流、それが中心。
「いいことだけが、SNSに投稿されるようになる」
表面上の付き合いだけのフォロワーがほとんどだから、
なおさらマイナスなことは呟けないのである。
その結果うわべばかりの幸せが、あふれかえった媒体になる。
簡単な例でいえば、
結婚及び妻帯者、彼氏彼女の存在アピールあたり。
「結婚しました!」 という、幸せ真っ盛りの報告。
「旦那が今日も優しい」 という、ほほえましいツイート。
これらの投稿主は、幸せで仕方がない生活を送れているのだろうか。
答えはほとんどがノー。
旦那の収入の少なさから将来の不安を考えていたり、
実は暴力をふるうときのある旦那かもしれない。
結婚だって、まだ付き合って浅い段階でのできちゃった結婚で、
心のどこかに後悔の念があるやも。
そういったマイナスをすべてかくして、
幸せだけをアピールするのがSNS。
そうやって幸せであることを報告して、
承認(いいね)してもらうことでやっと幸せになるのだ。
これが、リアルの友人やチャット時代のネットコミュニティであれば、
その人個人をよく知っているから、
苦労している大変な面もあって、幸せもあるのだと理解できる。
でも、SNSはリツイートを通して大量の赤の他人の幸せばかりが押し寄せてくる。
それに比べて自分はどうだ。
仕事に疲れ、恋人はいない、収入も高くはない。
世間のみんなはこんなに幸せそうなのに、
何故自分は幸せではないのか。
ああ、私も幸せになりたい。
幸せの証をSNSで呟かないと。
一人旅で綺麗な景色を見なきゃ。
猫と戯れて和む時間をすごさなきゃ。
幸せにならなきゃ、自分だけが取り残される。
「みんな」と同じ、幸せな人生を送らないと。
いつしか脅迫概念のように幸せを追い求め、
その幸せに「いいね」をもらって承認してもらわないと満たされなくなる。
しかしどこまで突き詰めていっても、
幸せにあふれている「みんな」には追いつけない。
だって、そんな「みんな」はもともと存在しないのだから。
SNSの向こうに本来存在するのは、
あなたの思う「幸せなみんな」ではなく、
不幸と幸せを両方感じて何とか生きている人たちばかり。
そうやって果てない幸せを追い続けることにつかれ、
ある人は断舎利をし、
ある人はネットを離れ、
そして、少なくない人数がうつ病になっていく。
最初に上げた論文では、SNS利用者の25%はうつ病になるとしている。
そりゃそうだ、自分だけが不幸だという錯覚に襲われ、
ありもしない幸せを追い求めていたら、 誰だって壊れるだろう。
SNSは間違いなく毒である。
見るだけで毒、投稿すればより早く回る猛毒。
それでも、周りの人たちの現状や、世間のニュース、
それに対する反応を見るために、 SNSを開くのはやめられない。
開いてしまえば最後。
見たくもない他人の幸せが押し寄せてきて、
また自分は不幸になっていく。
SNSの幸せとは、つまるところ相対評価。
自分より幸せなように見える「みんな」がいる限り、
宝くじでも当てない限り、幸せになんてなれっこないのだ。
SNSを見る前と見た後だと、 後の方が幸福度が下がるというのも、
先述の論文に書かれていること。
「SNSなんて辞めてリアルの人間関係を築こう。」
これはリア充やパンピーの言う綺麗事ではない。
リアルの相手なら、相手の幸せの裏にある苦労だってわかるから。
その人の幸せを本気で祝福できるし、
嫉妬することだってSNSよりは少なくなる。
別にリアルじゃなくてもいい。
ネット上でもSNS以上に対話の多いコミュニティで、
深い人間関係を築ければそれでいい。
外食をしても、SNSに上げない。
2000円以上した美味しいディナーの感想は、
自分の舌と、親しい人たちとだけ共有できればそれでいい。
シェアする時代でもシェアしていいのは身内までだ。
幸せは結局のところ相対評価。
他人と比べることは辞められないって、
お釈迦様ですら言っているのだから。
なら、幸せにあふれている場所には身を置かない方がいい。
とにかく、親しくもない人の幸せにだけは触れないほうがいい。
断舎利、SNS断ち、それも立派な手段だ。
そうやって、他人の幸せに駆り立てられることなく、
朝の出勤時の信号が全て青信号だったことに、
小さな幸せを感じられる人間へと生まれ変わる。
それができれば、きっと今よりいい人生を送れると思うのです。