たぬきのちらうら

適当に、好きなことを書く。おもにシャニマス

だから僕はシャニマスにドハマりし続けている。~コミュ・キャラ編~

シャニマスはやることがない」


なんて言っている人がいたら、
是非何を楽しめるか知ってほしい。
2周年で始めた。Vの者がやってるから始めた。
そんな人たちが、魅力に気付かずに離れていくなんてもったいない。
時系列に追えって圧力がウザイ?
グレフェスはクソゲー
シャニマスは課金ゲー?
本当にそう?

グレフェス上位勢はみんなクソゲーって言ってるよ?」

じゃあ、なんであの人たちは必死になって、
毎シーズングレ7に残留してるの?
そんなの、ハマってるからに決まってる。
そこに、やる価値があるからやっているんだ。

シャニマスは、実は近年のゲームの中でも
かなり優れた作品だと、僕は思っている。
それを知ってほしい。
その気持ちだけで書きなぐった記事です。

まずは、今更ながらコミュのことを。
育成やグレフェスの魅力は、別の機会に。


今日のお題:コミュがいい


それはもう、言うまでもないことだ。
ただ、なんとなく面白いから読むよりも、
何故面白いのか知ったほうが、より楽しめるんじゃないかなと。
あとは、時系列順に読むことにも、こだわらなくていい。
それも説明したいと思ったので、書きなぐる。
最新のコミュを例にとって、
自分がどうハマってるか話そう。


くもりガラスの銀曜日を読んだ。





あまりにも情緒の塊かつ、
ただただイルミネのたどったなんでもない日常を描いただけ。
それだけのコミュにここまで感動させられたのだ。
以来、銀曜日エゴサ?し続け感想を読み、
ここが素晴らしい、ここがいいという意見に画面の向こうから一人うなづく。
銀曜日関連コミュを読み漁って理解を深め、
眠れない夜は銀曜日のことを考えている。
つい最近話題になった「薄桃色にこんがらがって」だって、
3日に1回は読み返して、そのたびにボロボロ泣いた。





コミュの中身に関しては、他の人が書いている記事を読んでくれ。
ちなみに僕はイルミネPでもアルストPでもない。

どのユニットのコミュも、どのキャラの個別シナリオも平等に好きだ。
果穂のGRADなんかは放クラPだからこそのよさもあったけど。

閑話休題
何故、ここまでシャニマスのキャラやコミュに惹かれるのか。
ライターがすごいから。
だけじゃ、抽象的過ぎて答えにならない。
なので、ちょっと論理的に(自分の中では…)説明したいと思う。


・ジグソーパズルのピースを嵌めていくシナリオ


とにかく、これらコミュのよさを形作ってるのは、
シャニマスのアイドルがデビューしてから積み上げてきた時間と、
キャラ一人ひとりが持つ人生だ。
キャラの人生ってなんだよとなるなら、
設定資料と言い換えるとわかりやすいと思う。
ネタバレを含まずに例示すると
例えば、「薄桃色にこんがらがって」
読んでいるときにこのような気持ちが浮かぶ。
「桑山千雪の新しい一面が見れた。」
でも実はそれは新しい一面ではなく、
これまで書かれてきた千雪をよーく見ている人は、
納得のいく、表に出ていなかっただけの一面、既知と感じるのだ。

話題になった「チエルアルコは流星の」のめぐるもそう。
「めぐるってこんな子だったんだ」
と多くのPが驚いた中で、
「めぐるはそういうところ確かにある」
と、過去のコミュのさりげない部分で気づいていたPがいた。
実際、WING編や1枚目のSSRで書かれているのだから、
自分はそれに気づいたとき思わず膝を打った。

シャニマスはおそらく、とてもとても分厚い設定資料集がある。
それはもう、生まれたころから育った環境。
幼少期の思い出や、人格形成に強く影響を与えた雑誌まで。
どのような人生を歩んできて、この性格になったのか。
そこを、緻密に緻密に作り上げているのだろう。
だから、キャラの行動・言動・心情に新しい一面を感じても、
その子のもともと持っている一面として受け取れる。
知れば知るほど、発見があり、
その新しい一面は、決して矛盾した性格ではないのである。
近年のソシャゲだけでなく、アニメやマンガでも、
ここまで軸のしっかりとしたキャラクターが書かれている作品はそうないのではないだろうか。
たいていは、物語の都合で性格と会わない行動を取ったり。
時を経ることで性格が破綻するものである。
その軸がぶれない書き方ができている。
そこが、シャニマスの強みであり、魅力。
コミュに深みを与えているエッセンスである。

もともと持つキャラクター・性格を踏まえたうえで、
様々な出来事にどう向き合っていくかがコミュとなる。
まさに、「生きていることは物語じゃない」と言わんばかりに、
このキャラクターたちが生きているさまに
面白さや感動を受け取ることができるつくりなのだ。
物語の都合にキャラクターを合わせない。
そうしてキャラが出来事に向き合うことで生まれた物語は、
いわばキャラクターという大きなジグソーパズルに、
鮮やかなピースを嵌めていく作業ににている。
制作サイドは最初から完成図を用意していて、
僕らはピースが嵌まるごとにキャラクターを知っていくことができる。
完成していくパズルの絵自体も綺麗だし、
パズルを嵌める(物語を読む)過程も楽しいのだ。
まだ見えない絵柄を想像することすらも楽しい。
むしろ、完成しないからこそ楽しいとすらいえる。
くもりガラスの向こう側のよう。

ここが、シャニマスのコミュの根幹にあるものだと、僕は思う。

この作り方にはもう一ついいところがある。
それは時系列順に見ることを必須としないこと。
実は、どんな順番に見ても楽しめるのだ。
よく
「薄桃色にこんがらがってを初心者に勧めるな」
という意見を耳にするが、僕はそう思はない。
確かに、時系列順に追うのが楽しみやすいとは思うが、
「薄桃色にこんがらがって」を読んでから、その過去にあった話として
「満開・アルストロメリア流幸福論」や「アルストロメリア感謝祭」
を見てみればどうだろう。
「薄桃色にこんがらがって」という試練でどうして
あの子たちはあれだけ心を悩ませたのか。
その解を過去コミュを見て知ることもまた、面白いと思うからだ。
そこで答えを得たうえで、もう一度「薄桃色にこんがらがって」を見れば
また新たな発見があって二度楽しめる。

そもそも、すべてのキャラにブレがないのだから、
時系列をバラバラにしたって、その子の一面を見る順番が変わるだけ。

まるで、それを暗示したかのようなコミュが
「くもりガラスの銀曜日」でもあった。
このコミュは、イルミネがこれまでの2年間で経験してきた時間を、
バラバラにして組み込んでいる。
初見では時間軸がわからないのだが、
後から整理して時間軸順を知ってもいいし、
そもそも、知らなくても楽しめる。
関連するコミュをあとからよむことで
「このコミュが、銀曜日のアレにつながっているのか。」
と、楽しむこともできる。
まるで、最近よく言われる「時系列順に読め」という風潮に
ライター自身が「好きに楽しめ」と伝えてきたかのようだった。

角からパズルを嵌めるのがセオリーではあるのだろうが、
別に真ん中の絵から作っても構わない。
特別綺麗な青色の部分から作り始めて、
そこが空なのか、海なのか、湖なのかを知ったとき
その瞬間しか味わうことができない感動を得られるのだから。

シャニマスのライターが信じられる限り、
完成図は変わらない。
それなら、どんな順番で読んだって大丈夫だ。


ライターは、僕らにコミュの楽しみ方すら暗示的に伝えてくれている。
そして、これまで積み上げてきたコミュの数も相当だ。
薄桃色なら僕は一度読み返すだけで1時間はかかる。
余暇の時間を多くの趣味で埋め尽くす現代人には、
むしろ多すぎるくらいのテキストの質と量。
これがあるのだから、じっくり見てみれば、やることがないと感じることなんて。
少なくとも、僕にはない。